岡田彰布監督の凄さが分かる名言・語録集!天才打者の伝説エピソードからリーダシップ論まで
伝説のバックスクリーン3連発といえば、1985年4月17日に阪神タイガースが宿敵読売ジャイアンツの槙原寛巳から記録した3連続本塁打ですが、三冠王バースが口火を切り、ミスタータイガース掛布が続き、最後を締めたのが岡田彰布です。
大学時代には江川卓との対戦で神宮球場を沸かせ、同時期の人気選手だった原辰徳とも比較されたスラッガーで、プロ入り後はチームの主軸として活躍し、引退後は監督として采配をふるい、また独特の語り口で解説者としても人気の岡田。
「そらそうよ」と少しとぼけた口調で誤解されがちですが、その著書などから理論派の一面がうかがえ、セパ両リーグに精通し、解説者としての人気や評価も高く、関西だけでなく仙台でもスポーツ番組に準レギュラー出演しています。
今回はそんな岡田彰布監督の凄さが分かる名言や語録を紐解き、天才打者の伝説エピソードからリーダシップ論にまで迫ります。
岡田彰布のプロフィール詳細
まずは岡田彰布の経歴を追ってみます。
1957年11月25日生まれ、大阪府大阪市出身。北陽高校に入学し、甲子園にも出場。早稲田大学に進学し、一年生の時に法政大学のエース江川卓から3安打し注目されます。その後、3冠王をとるなど東京六大学リーグ、全日本大学野球選手権でも活躍し、1979年のドラフトでは6球団にの1位指名を受け、阪神タイガースに入団。
1年目はドン・ブレイザー監督が途中退任後、中西太監督がレギュラーとして起用。打率.290、18本塁打で新人王に輝きます。二塁手、三塁手、一塁手を経験しますが、二年目には二塁手に固定されます。
1985年、バース、掛布、真弓明信らを擁する強力打線の5番打者として、打率.342、35本塁打、101打点という素晴らしい成績を残し、タイガース創設50年にして初の日本一に大きく貢献します。
その後も主軸として活躍し、1989年に掛布の引退で三塁手になりますが、翌90年には再び二塁手に戻り、更には一塁手、外野手などを転々とし、打撃成績も低迷するようになり、1993年に自由契約となってオリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)に入団。1995年限りで引退します。
現役通算16年間で1520安打、247本塁打、打率.277。新人王、ベストナイン1回、ダイヤモンドグラブ賞1回。
引退後はそのままブルーウェーブでコーチを経験した後、2004年にタイガースの監督に就任。2005年にはリーグ優勝に導きます。
2008年に退任しますが、2010年からはバファローズに名称が変わっていたオリックスの監督となり、2012年まで指揮をとりました。
私が選ぶ、岡田彰布の凄さがわかる名言・語録集
【名言語録その1】
「タイミングが合えば自然とバットは振れる」
現役時代に打撃の主要タイトルはとれなかった岡田ですが、1985年に右打者で打率.342を残したのは見事ですし、通算247本の本塁打も立派な記録です。
「タイミングが合うと振り過ぎじゃなくて自然に無理なく振れんのよ。でも今は身体能力や体力があるから、タイミングが合わなくてもバットが振れる」
「コイツすごいなっていう選手はおるけど、ウエートトレーニングでつけた体力が技術を上回っているという感じ。そんなに打つ技術がいいとは思わないけど、技術をカバーするだけの体力を身につけている。今は技術だけで打つ若い選手が少ななったな。うまいなぁっていう選手が」
この指摘はイチローが引退した時に「現在の野球は、頭を使わなくてもできてしまうものになりつつある」と懸念しているのと同質のものに思えます。
体力の向上は決して悪い事ではありませんが、通算576本塁打の門田博光の身長は170センチ、1065盗塁の福本豊は169センチ、197勝の長谷川良平は167センチと、野球は決して身体的なものが絶対条件であるスポーツではありません。
その意味でも岡田やイチローの言葉に、野球人は耳を傾ける価値があるように思います。
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【名言語録その2】
「ゲームがはじまったら、監督の仕事なんてだいたい終わっている。戦術なんてある程度出尽くしているからね。グラウンドに出すまでの過程が大事なんや」
野球界には「名選手、名監督にあらず」という格言があります。古くは川上哲治から、野村克也、落合博満など、その格言が当てはまらない人もいますが、多くの場合、確かに実績を残したスター選手がいい監督になるわけではないようです。
同時代に活躍した原辰徳も打点王1回と、あまりタイトルとは縁がありませんでしたが、その頃のセリーグには山本浩二、掛布雅之、バース、落合博満、篠塚利夫(現篠塚和典)、正田耕三など、手強い選手が目白押しで、岡田もまたタイトルは取れなくともスター選手でした。
岡田は監督として通算8年間で、Aクラス4回、Bクラス4回、リーグ優勝1回というスター選手出身としては、なかなかの戦績を残していますが、理想はそれぞれの選手が自分の役割をこなし、策を弄さずに自然と勝てるチーム作りにあるようです。それはV9時代のジャイアンツや森監督時代のライオンズの形であり、常勝チームの姿でしょう。
かつて小林繁が江川卓とのトレードにより、タイガースに移籍してきた時、「巨人の選手は試合前にひげを剃るけど、阪神の選手は試合後にひげを剃る」と話したのが、岡田には忘れられなかったそうです。それが選手の自覚が重要だという意識につながったのかもしれません。
戦術の理想像は「守備・投手を基本とした守りの野球」であり、「つねにマイナスからの逆算」で考えるそうで、「マイナス要素を見極めていけば、試合の展開を大きく見誤ることはないと思うよ」と語っています。
それは理由のない楽観は、大きく状況を見誤ることがあるということであり、ポジティブシンキングの落とし穴を的確に突いています。
【名言語録その3】
「勝ちながら育てるというのは、どの球団にとっても永遠のテーマよ」
2010年のバファローズ監督時代、ひと月にのべ20人の選手が1軍と2軍を行き来したことがありました。
「打てませんでした。打たれました、で終わんのか?」
「ナメてるように、投げとる」
そんな厳しい言葉もあり、コーチや選手からも「頑固」とか「怖い」と言われることもあった岡田ですが、しっかりと計算した上での言動でした。
「わかっていることを言われると頭にくるのは当たり前なんだけど、選手の頭の中に、もう、ずっと残るようなコメントも必要かなって時期もありますよ。選手の次の日の反応は見るけどね。あの言葉がどれくらい応えているのか」
野村克也もよくマスコミを利用しましたが、岡田もまた巧妙にそれを利用していたようです。
「シーズンを通して、主力全員がケガなくプレーできるのが理想やけど、そんなことはほとんどない。ケガ人が出ることをつねに想定して、代わりとなる戦力をきっちり把握しておくのは監督として当然の務めや」
そのための準備として、のべ20人の選手が入れ替わるようなこともあったのでしょう。
「チームにとっても、主力のケガは若い力を試す格好の機会になる。そういうふうに考えると、必ずしもマイナスのことばかりではないんよ」
監督としての岡田はマイナス要素を否定せず、それを受け入れた上での戦術を常に考えていました。
2011年、実はWBCの監督を依頼されていたという岡田。速攻で「嫌です、言うたわ」と断り、その後に山本浩二に決まりました。
おそらく、いつかまた望まれて岡田がチームを指揮する日が来る気がします。
名言からの学び
・技術を軽視しないことが更なる成長への鍵になる。
・マイナス面を見極める事こそ、リスクヘッジの序章である。
・時に誰かを経由して伝えることで、よりメッセージ性が強くなる。
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